2022/05/26

この前の土曜日のまだ明るい18時ごろ、人と向き合って嬉しいという気となんと前なんて見られないという気の時間がしっかとあって、最近はこのように一人でできない状態になった場合にやはり人とあってこそだとか思ってしまうけれど、孤独と孤立、はたまた、solitude、loneliness、isolation・・・・ひとりのうちで2人でにぎわうこと。思い出し、じわと引き寄せたいと思う気持ちに生活がのしかかる。

 

ことばとvol.3掲載の柴田聡子『新曲・Best Friend』はもう去年の発表だったけれど、読んだ日の次の日、たまたまiPhoneに新アルバムが流れてきてつながる。この脈は意図的に作り出すことができる。それで、Best Friendは、と言って、この前GirlfriendとGirl Friendは違うとgotしたのだった。で、読み始め、最近の〜とかいうのはこっぱずかしいので省いておいて、そしたらなにかといったら薄明るい汗は少しかく青白いあたたかな丸天井。人が出入りできるしいつまでも座っていられる(たぶん)でもきっと人の制限がどこかでされていた教会。あらかじめ整備されていた秘密・のようなうれしかなしさ、あり、簡単に言うと気持ちのよ〜い昼寝がしたくなった。

 

近頃、だいぶ目が慣れてきた。日記祭に行って:「この期間に会っていたから書かれている」ということ、書ける人/書けないと言う人がいること、日記の文体、と見せかけた文体、挿絵、などと考えていたのに追加。こうやってタイトルに日付を入れてみたら、それはこれを書いた日(じゃない日もあれど)にしかなってねえ。もちろんその周囲ではあるのだけれど・・・というか、ほんとうにさ、出来事パックされたこと以外の、思念?(純粋思念体ってなに❤︎)の起こり日がシームレス。だから記憶がないのかな? と思い始めて、この消えたかもしれない記憶にかたちを与えるなにかができないかな?

 

またもや腰痛をぶりかえしてしまう。トムソンベッドにするりと乗せられて、夢、夢、夢・・・・と思いプワッファプワッファプワッファプワッファプワッファされる。ものにたいする人のきょり、はいろいろである・・思考によって気が紛れることがある。どうもこうも想像の拷問器具を思い出していた。《姿勢が悪い場合には、「覇気がない」「ネガティブ」「人生がつまらなさそう」などのマイナスの印象を抱かれやすい》・・・けど猫背による背骨の鎖骨の内側のくぼみに風が入りくるりと抜けていくこともある。あかるさ、あかるさ、あかるさの裏に薄暗い闇のしゃあないきれいさ

 

・「利他」とは何か

・言語が消滅する前に

・草の上の朝食

 

「ツェッツェッ」って、まじかと思って自分の口でもやってみたら確かに猫をよぶ音だった。