2024/02/13-02/21

 

2024/02/13

あーいいにおい。この匂いすきやね。昔よく喫茶店でな、吸ってはる人が多くてな、吸うてへんかったけどな、横にいてかいでな、いやな人もおるけどな、きらいじゃなかったんよ、 ちいさいころの記憶、というより時間。時間でもなく、ほとんど消え去った経験、からだの動き、触れたもの、聞いたもの、内側に現れた何かのことをおもえば途方もない。

 

 

2024/02/21

もう2024、に慣れた。人に会いすぎ、という感覚が、2020-2021とのギャップによるものなのか、実際に学校システムから出た後定期的に新たな知り合いになる機会が少なかったのかどうか若干わからない。自分の感情に関して若干わからなくなる。ことがふわー引いてみたら多発してる。居酒屋でたくさんメニューがあると目に止まるものはあるけど選ぶにはとどかない。そういうときにそれを横目にわかりつつ決めて注文までしてくださるひとといると安心する。選べずに選ぶことを置いても許されるようになって、その人がきめたのをみて、いきおいはぎれよく店員を呼ぶことだけはできる。

 

 

家の中で音が鳴る。いろいろなところに目を瞑りからだをこの場所にとどめるためだけに毎月支払って荷物と私を置くためにだけあるこのばしょ、というよりはわたしだけの床と壁と屋根、電気、目を瞑っているところがわかる大人になったので、はたと、私がこの家をそんな時間をかけずに契約したみたいにはたと、突然きえてしまってもおどろかないと、上の、といっても手が届かないだけのたいして高さのないうえから聞こえるなにかが軋む音、なにかが終わっていっている音、みじかい、2秒でも、確実に部屋にいれば聞こえるそのおとを聞いて、こわさも、うけいれていれば、飲み込んでしまえる、そう知っている、ということを、この中でも、発揮できる。

 

 

 

2023/12/20

 

ずーとここよりもよいところへ逃げたいと思いつづけて、それはなぜかわからないといまはざっくり言えるくらいにはものごとをおおきくエポケて過ごせるおとなびかたをしていると思ってはいるが、たぶん20年くらい。ながかった。その時々で怠惰さや情熱のなさや身体がじぶんのものであることの受け入れられなさ、次の瞬間に全く何もしたくなる可能性の大きさ、街の中で止まり上しか見られなくなってしまうなみだにぜつぼうしてきたわりには、いまここにみえないけれどもたいせつなことがふんわり、かくじつにつづいているいまここが場所となって。そうである、そうなっているということからはじめることができる、ただそれだけのゼロにやっとなれはじめている、ような気がした確信の後に全くそうでなくなることもふくめてオーケーである、そもそもまったくすべていいようにだけすればよい、さあサいつかすべてただただ終わるのだからネ!そういうあかるさがこのこれまでとしては長年で得られたとしたらこの先もまあまあやっていけるのかもしれない。

となったので、恩師に会いに行きたかったけれど1月って入試。あの悪魔の日々(笑)がもう6年いや10年も前にあったのだな

 

動きはほんとうに外からくる。自ら動き出さないことに後ろめたさを覚えながらも動的の一瞬にはさあ1番ベストの☝︎ことだけを言っていたいそう思うのはいつもその瞬間のすこしあとで後悔をしてばかりけどそれも。

 

 

 

2023/12/04

 

きっと気温や体のサイクルによる流れでいまはこういう状態なんだと対処するできることに楽さをたしかに感じていたけれどそのようにばかり処理しているとこれまでにあったなんらかの感情を失ったような気がしてきた。気分の浮き沈みに振り回されないことは生活にとってたいへん有効なことではあるが、くるしい状態に沈み停滞している中でそこから出ようとするときの圧力のつよさにやっぱり惹かれてしまっているということのような気もする。自分の名前が印字されているのを見て、それに対するこのからだがめちゃめちゃどうでもよいものみたいに感じたりする。いまだに、なにかを感じたり、ある気分に浸ったり、あたらしいものみたいな思考が始まったとき、その急さにおどろきして、それらにじわじわと馴染んで、困惑をつづける、そのようにしてしか、受けいれられない。そういう一連にことばをつけて、書いたり話したりなんらかのかたちに表現することができることは、すっかり知っているけれど、この手元からきたそれらについては、まだどういうふうに出してよいのかわからない。最初の喪失について、もしも他人のそれについても鈍感になっていっているのだとしたら、それはめちゃめちゃ悪いこと、それはあかんことだとされそうだけど、今はそうであればかなしいが、正直ちょっとわからんというのが正直なところ。ほんとうに悲しいことは、たぶん外からくる。でもそれよりもまだ内側のかなしさの扱いがわかってない、というようなかんじか。

 

 

 

 

2023/10/28-10/31

2023/10/28

Solitude limits solidarity; Solidarity corrupts solitude

 

2023/10/31

一年が終わるなんて生活が続いていることに比べたら全くどうでもいい。

ほろ酔いになる程度の飲酒を覚えたのなら、飲酒はするけど、生活もできるかもしれない……。3点リーダーは好きじゃない

2023/10/15-10/20

2023/10/15

みじかいこころのゆれうごきかみしめみつめあいが目そらし目のつながりあった、たいへんたいへん短いそれはこれまでもあった知っていることのひとつのようにも思われるそれはあるひとつの中にいれておくことができるようなっているようなかんじがする。自ら、ではどうしようもないそれにグッとするギュワッとするうつくしくうつくしいすがたで、

 

2023/10/17

昨日のねむれなさ、朝まで眠るまえのようなまぶたで起きながら奥底のざわめきをまだ捉えたまま

 

ひろい場所で伝えられたのはいいとしてそれよりもあしきはその時の顔の状況のこと、それは置いといておもいだすわ、その区のこと、この土地のどこかに足をつき息を吸い寝起きしているということをよく長くそうなってしまうたび現実にたどりつき吐きそうになる それが小刻みに続く

 

 

これは表象にたすけてもらおうとして作品に向かうのは、懐かしいかんじもするししっているものほどエネルギーは枯渇していてかなしいきもする

 

 

 

2023/10/20

すずしくなってくる。そうしたら、ふゆがくる。

 

 

2023/10/01

いま目の前にひろくある景色高速で流れ去る景色遠さの先でこれまでもその先もそこにある景色それぞれに頭を止め思考を止めくぎづけになることがあったろうそれらに、あらがう時期見過ごす時期見流す時期受け入れる時期があったはずであり、それはまぎれもなくこことそれらとのことであったとは思われる。いちいち眺め続けてはいられない生活の流れあれど時々に個人なりの切れめをつくり見てきたすべてのこと。おそろしは見なければかなりみえないこと、この目だけがすべてであること、そのおぞましさにも折り合いがつく年月、慣れのつよさ。肌と空気の境目をなぞらざるを得ない時期を経てたからか抵抗のない目の膜目の一枚、なぜか、すいませんが私がいれますがと言われて人の手が目に合わさる直後のヨドバシマルチメディア館のくっきりと空の色の名付けようのある見え方にはあたらしい視野としか言いえない技術と時代の功績をまるめて飲んだ喉の詰まりからの爽快が確実にあった。2023年9月30日新宿でのこと。

 

赤と緑の見え方を何度も問われる数分間の末ふくみ笑いの手前の白衣の意図が全くわからない初診、よく知ってるボロビルのボロエレベーターで怖さなく上がった先の眼科はボロほど疑いがなくたんたんとたんとして真っ平になる。そのあとのクリア。色かたち輪郭がすみずみまで見える爽快。熱夜じゃない夕方の風、風の色がそういえばみえてないしばらくだった。風の色は見える。夜になると見えなくて昼もだいたい見えない。きょうは家を出る10分前の行動の中で収まりきらなかった左目を横浜までもっていき頭の中心軸がゆらゆらした、からだのことが、こうやってどんどんゆるまっていき、わからなくなり、きにならなくなり、そのなかで生きつづけると思えばさいあくだ。それとは関係がないのに、眼力のオブラートのことはほんとうにうれしく、ばかばかしいともおもい、それをわすれてあと何年生きなければならないのか。

 

 

書くべきは、20年越しの母娘の安寧のディナーのことなんだけど、それはまだ物にはならないもよう。

それでもちょっと寝かせてあげるよゆう、諦めでなく切なくもなく落ち着いた時間の与え方がどうやってここに吸い込んだのかはほとんどわからない、慣れかもしれないもしくはふりかぶっていた何かがはがれたとか、ともかく外的な変化であるだろうに恐ろしくないということにしずかに驚きの熱韻をのこしておける。まだこのままいきていないといけないのだから、どうせおわることだから、そのなかのちいさいちいさいあかりそれ以上でもそれ以下でもないようなかんじ。

 

 

 

 

 

 

 

2023/06/02-2023/06/26

 

2023/06/02

過去の出来事感情その時の身体を持っていた感じがどんどんゲシュタルト崩壊していくかんじ今に始まったことではなし。世の大半がとされるように今ばかり突きつけられる平面を目に寄せするするする続けているうちに時間の感覚が甘くなっていくのと本来は別のことなのに記憶のこと取り出さなすぎるのが若干の原因のような気もす。取り繕いいくばくかある対面とそれなしでよしの言をふわり投げてくださる方との短くも時間、しかとした残り方あり。このことも係る気あり。原文ママよりも直接的な言葉を載せられる人あり。最近のそういう人たちはかるく、目の印象が残り、ただ無のまますれ違うということがなく、ちいさくでもこちら側がカシャンなんらか記憶されるそれは感情か思考か若干わからんがその人とその周囲に関わることへ考えが及びはじめる、とは言えそうではある。すれ違うとき、去るというふうに絶対にならないそれだけの安堵? 意・外と、すくないこと。

 

2023/06/19

 

 

2023/06/20

日付を見てきょうがいつなのかを確認してる。なんらかの締め切りのスパンごとに生活が進んでその外側に月や日の進みがあるかんじ。毎日今日は何日かとカレンダーをみる、カレンダー上で数上の位置を確認する、それから、かなり別のところでいまどこにいるっけと足の踵骨を立てなおす、立て直しても立て直しても傾いてしまうことに骨を砕く憤りはもう消えて、何度も何度も立て直す。

 

 

 

2023/06/26

久々にあまり眠らなかったら忘れていた脳の身体の野垂れ死感じ、目を瞑った瞬間意識が飛ぶ感じでしか体感し得ないからだの縁ありもう本当にやりたくないけど。

おなじくらい?(なにと?)自然なこと、人とあること起きつつある。話しして、酒はアテ程度に飲んで、話するだけの短い時間の満たされた時間軸、これもやってないと体感のすっかり無かったかのように、そのかんじを忘れる。