記憶が、それも数年そこら前の記憶に自分がいない。こういうことがあった、こういうことを感じた、それだけが残り、今ここにある肉体が、精神がその延長上にあるとは身が持たない。そうであっても、たとえば過去の友人に会い、過去の時を反芻し、思い出した…
「幸せの家庭」というものがあった。あったが、それは形を変容させるものだった。孤高の理想ではなかった。それでもよいという実感を、そうではないところから完全に分離させ、引っぺがして情緒に縺れず、一己としてあってみせることにしか興味がない。流さ…
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