2023/12/04

 

きっと気温や体のサイクルによる流れでいまはこういう状態なんだと対処するできることに楽さをたしかに感じていたけれどそのようにばかり処理しているとこれまでにあったなんらかの感情を失ったような気がしてきた。気分の浮き沈みに振り回されないことは生活にとってたいへん有効なことではあるが、くるしい状態に沈み停滞している中でそこから出ようとするときの圧力のつよさにやっぱり惹かれてしまっているということのような気もする。自分の名前が印字されているのを見て、それに対するこのからだがめちゃめちゃどうでもよいものみたいに感じたりする。いまだに、なにかを感じたり、ある気分に浸ったり、あたらしいものみたいな思考が始まったとき、その急さにおどろきして、それらにじわじわと馴染んで、困惑をつづける、そのようにしてしか、受けいれられない。そういう一連にことばをつけて、書いたり話したりなんらかのかたちに表現することができることは、すっかり知っているけれど、この手元からきたそれらについては、まだどういうふうに出してよいのかわからない。最初の喪失について、もしも他人のそれについても鈍感になっていっているのだとしたら、それはめちゃめちゃ悪いこと、それはあかんことだとされそうだけど、今はそうであればかなしいが、正直ちょっとわからんというのが正直なところ。ほんとうに悲しいことは、たぶん外からくる。でもそれよりもまだ内側のかなしさの扱いがわかってない、というようなかんじか。