2024/03/20-31

 

2024/03/20

すべて忘れてしまうのに、ここにちいさく積み重なってじぶんよりも他人からの方が見えているであろう残滓が溜まっていっていると思うと陽の下に出たくないくらいいやになる。お昼時の、電気をつけてない部屋の、窓際と部屋の奥の明暗の境目にいて、なおかつ暖房のいらない陽のあたたかさが満たしていれば、かなり、しあわせ。

 

 

2024/03/23

ふだんあんまり気になってないからだけど、ふと素材や工程にこまやかな指定がされてつくられたであろう、料理というやつを、ディナーとかランチとか名前がついためしを食いたくなるけど、なんかそれもとおくとおくなった。たべられないものが増えてきた。

 

誰と食べたかの方が覚えてる。

 

 

2024/03/31

誰からによりつくられた年度末というくぎれめ。それに追い上げられてうごくにんげんたち。年度末ラストの金曜日新橋には高揚感と言いそうになるひとびとから苦しさを飲み込んだ黄色い開放感のようなかんじを捉えざるを得なかった、ようなきがした。今年度最後の日曜日いま、ほとんど乗ったことのない、くだり、の電車に乗って遠く行ったことのない場所は向かい中。隣の女子っぽい子がなんだかメソメソ言っていて、その前に膝をつけて立ち持ち手を持ちながら混んでて見通しの悪いはずの車内を遠くみている男子っぽい子がおり、互いに小さい声でなにかをささやいたり、お互いの手を触ったり撫でたりしている。

 

親密さ、が、他人との間に生まれるにはじわじわと表からと裏から、忍び寄ってそれになっていくかんじ。突然のことはこわくもあり、擦り寄っていくのは興味関心、互いの距離感に双方無理がないように思えれば友愛、安心、安全、信頼のかけら。でも、全部すぐ裏に黒黒し深淵wはあると忘れずにおるのが平和のこつかもしれない。?

 

人とのことで泣くことがほとんどない。

とおもったら、近頃は自分のことでも泣いていない。