切れ加減ふよふよ陽当たりと窓

どこからはじめるべきか、すべての事事には前後ゆるやかな波が立っておると思い込んでいて、それは2分ごとに電車が来る都!!!心の時間には刻まれすぎるが故に境目の消失があるような気がするが、そうすると突然への耐性がつかなくなるかもしれん。人身事故で電車が止まって、どうにもいつもの帰り道塞がれて終電前、やばいと思ったわたしは帰れないわたし、世田谷区に夜中立ち止まるわたし、すかさずタクシーをつかまえてしまってお金を払うわたしのことしか考えておらず、そんなはずはなかったのに!など思わずに行動を変更させざるを得ないこと・のみへのなんらかの感じ。人身事故の四文字は突然の原因となって現れて消えるだけのものではないが「思いもしない」を受け止めるところから、としたい。

<とつぜん>について集団の前で語っていたのは有名になった教授で、文字面のたびに思い出される頭部の曲がり。

それで、今度はゆるやか〜なとつぜん。新幹線での移動、2時間半のとつぜん。記さねばならないのは、人生2度目の立ち乗り新幹線だったことではなく、京都がどうどうと39度だったことでもなく、はじめて、帰路を踏む、車両を見て、田舎だと思ったのが突然きた。目の届く距離にある先頭車両、長い座席のブロック、えんじ色のちょっと廃れたクッション、人と人がすきっ歯みたいにゆるやかに開いて座っていて、おばあさん、おじいさんが多くて、子どもの声が響いてて、部活帰りの姿がちらほら、あとギャルっぽいファミリー、どうやってもユニクロの服、スーツケースを持った帰省帰りは服装が他と違う。こんなこと夏目漱石が散々書いてるしみんなも引いてるのにはずかしくなるけれどこれもふくめて異化のプラマイ。そしてこれは変わらず、西は気がゆるみ、文字が出てくる。はずかしい。

実物見ると厚くて買うか迷った文藝があんまり重くない。