5月

発見: 自分はかなり家または行ける範囲で一人遊びをする子供だった気がする。記憶のなかに自分の姿ばかりある。

 

5/11 土

家の外がしずかなことがかなりいいことだと気づける休日。日中の太陽に晒されることが少ないことは身体に大きく影響するだろうと思っていたが、夏場はそもそも出ないんだった。しかし風の当たりがほんとうにわらえる。平日の外出で道玄坂上がってるとき、風そして今まで気にしていなかったが道玄坂の道なりに高く生えている木々がかなり新緑でさわさわしてた。わらって上がった。

 

サングラス掛けて出るつもりだけど、ずれ落ちて割れたらいやだなという気がかなりある。心配してないとミスる、というよりは、大きく構えておいてすべてをひろえる、という状態でありたい。

 

いま、布団の上に外用の服で座ってる。さっき食べたキャベツはちょっとしなってた。肌が乾燥してる。かつて過度に無理だったことが大丈夫になってきている衛生的なことは、煙草の影響だと思っていたが、生活の変化ということもありえると木金あたりに思う。

状態が、なにによってそうなっているかということは無限に数値化できない(できることもあるやろけど)ことがくるしいのではなく、とおくでおもしろがれる状態に

状態入れ子じゃん。思いこみ、あかるめの思いこみ、できてたら結構過ごせる気がする。

 

昨日夜帰り道、渋谷ストリームを覗きに行きませんかと言われて流れて行った。位置と、16b出口直結と知って、かつて耳鳴りが起きそうなライトグレーのでっかい穴にぶっさされた宇宙衛星エレベータを思ったところだ、と思ったらそうだった。

エレベータのところは工事が終わって半面がストリーム装飾をされていたので、宇宙衛星感は半減してた。ストリーム上階はTOKYU HOTELだった。人工的なたのしませ装飾が安っぽくてストリーム川が神田川臭したから、金が溜るにおいみたいに思ってしまった。2019初夏。

けど嫌悪しまくっていた渋谷工事の後、新しい建物が急に現れる→その場所に行き、入り、歩き、こんなもんかと思う、プチツアーを何人かでやったのはなんかシンボリック(ちがう)メタフォリック(ちがう)メモリアル(?)(最近言葉が出てこないことが多く筋トレが足りないと鞭打たれる。解決できるわからなさの次にあるわからなさのための筋肉)だったので、帰り道に力抜けた身体でもできることが増えた。結果、新しさの風は浴びれたから。

 

今日は領土を増やしに、図書カードをつくりにいく。道玄坂の新緑は早大通りの風も吹いた。図書館の前にも高い木々があって同様だけど、キッズ&ユースが多くて目が散る。なんで渋谷の方でワッセ思い出したのかな。

 

いま落下物がたまたま落下しない位置に落ちた。ウフフ