尤も犬

低い世界で見まわしてカサカサと動いてキョロキョロしてるうちはかわいい。敵対心があるのだろう私にはガルルルと攻撃しそうに突っかかってくるし私もそれに堂々と構えてられず戦闘態勢を立てるからいつまでもバチバチ。遠目で見てる分には生きておるのだな、聞こえるんだな、見えるんやな、匂うんやな、覚えているのねとおもしろく見られる。犬。知らない土地に怯え、慣れてくると興味で走り回ってつかれてウトウトする犬、には名前があるけど私にはまだイヌなの、ごめんな、って多分犬に直行するものではない。わたくしの家族さんが私のイヌ発言に引っかかっていることは分かってます。こいつも家族なんやと諭された。私もその一部。どうしようもなく変えられない事実だと思ってきたけどそうでないこともわかってきて、さらにどうしょうもないこともわかってきたそのような形態について、年々許すことが増えそうなので今の時期のこのようなむずかゆさをパッキングしておいてもいい気がしたのは、同じように歳をとってゆく両親によって。言いたかったことは、お互いに甘えて気のないことを言って刺激し合い、不要な苛立ちを貯めまくるな、やりとり幼児退行か。慣れるな。って時間に対抗して慣れないって相当な修行だよねわかる。そうなり得る。だから言えなかった。きっとその慣れによって支えられた日常から現状私のほぼ全てが成り立ってきた。誰のためにと言われ取り返しが付かない。みながたのしいなと思える空間をつくろうとすれば解決かわからぬが居るだけでいいなんてことはないと居心地のわるい沈黙が示してる。

先に帰らない母が、理由があるのならできるだけいつもの空間から離れていたいのかなど考えたが、お子を一人にできなかったのかもしれん、子犬と同じように可愛いを根底に守り続けたいのかもしれんこんなことは直接言うことではないからこのような仮想空間は逃げでもなく役に立つ。