からだについて

たぶん、ということばは自分だけで完結することには起こらないのかもしれない。眠りや判断や志向の未知数は、たぶんというほど軽くはなく、出た瞬間からそのものだとしたら。

毎日の記録をしたくてしょうがない。多い中に身を置くと数秒前も昨日も先月の記憶も分離してる。それなのに体がうごくことへのおそろしさを、そういうものですよと手や足お腹を見て確認をする、その納得でおそらく一生は越えられる。しかし未だにことばの起こりには興味がある。