日記

11/28お風呂を沸かしてるうちに寝ていた。起床即湯気と煮出しきった青みたいな水を見て落ち込まなかった。

 

お腹が空ききるとむかしの記憶が飛んでくることがわかった。

 

 

隣がお盛んなのおもしろくなってきた。熱が上がって静まる。こちらと同じ部屋の暗さで壁が挟まってるだけかなと思い耳がやわらぐ

 

 

・ビールがうまい

 

 

 

11/23 昨日:会うはずのなかった感動に408円の価値がうめぼしで飛ぶ ベッドの向きを変えたらスッキリした。曇りの暗さでビールがほしい。どうも薄暗いとあたまがまったくクリアアサヒ。グレーに黄色のラインがかわいいようなかんじ。

今日:山手線でいつもより後ろに乗ったら外国語が複数飛び交ってるから大人の遠足車両か?と思う。新宿で空く。恵比寿降りても混んでるからこっちの出口はこんなにもと思う。改札に入ってきた濃いショッキングピンクのおばあさんはめちゃくちゃからだがひん曲がっていた。ハロウィン過ぎてるのにオレンジと黒の限定クッキーが堂々とフツーに売られてた。晴れてたしおやつにした。動く歩道も混んでる。時計が11時前を指していてすべてを間違ったか?と思ったら自動巻の気まぐれだった。きのう一年ぶりくらいに何も調整をせず日付表示が正しくなったから信用しかけた。動く歩道はめっきり赤っかのクリスマス、二度目以降は1/12よとコロプラ熊見て赤エビスビールのイメージにも誘われて祝日に気づき昨夜の深夜のカラオケの誘いにかなり納得してカレンダーみたら勤労感謝の日なので勤労客いっぱいくるかなーと思いそのまま開店後未だ一人暮らし、落ちてたドアノーの唐突のスマートカジュアルに記録、電話一本、陽、引いてきた。14:11。

 

 


11/22 おにくやのおじいさんがナイーブになった「昔ながらの」バージョンの梅干し

 


11/20 抽象を具体に翻訳し現実に接続した瞬間の共有可能性

 

 

11/14

胸のうち搾り取った たまねぎの水 大きくなって目が落下

 

 

11/15

・・・ナウシカエウレカパピルスプロタゴラスカモシカ、アトランティウス、ラオコーン、メビウス、キャメル、じゃなくて、あの、馬、、、、、天使、、、ラクロス、🦄

 


・なにですかと聞かずに頼んでなにを失う!

 

朝までつけっぱなしオ

音さえうるさすぎなければこっちの側を保てるくらいの主張で収まってくれるからラジオが心地いいのかしら?!といつもの机から→台所にぴよっとつまんで鍋の上に置いても変わらぬラジを見ておニューのフレンドができた気がした

 

昨晩はなんといっても0:00の手前であしたの日の出予報を聞いた。天気ではなく、ほとんど正確な全国の日の出の時刻、ほんの数時間先にぽつぽつ日本に点在する日の出を思ってかなりシュワンシュワンにときめいた。このいまのラジとわたしのあいだにみんな来て!興奮

 

23時代、0時代という時間割もえらいこっちゃ。ありがとう! 昨晩はあれなんや聞かずとも遠くないぬるりん声……穂村弘は木曜のここNHKにいつも居ることを知る。固定だからいつでも会える感がつよい?ぎゃくに?

 

ついにすこし近所の銭湯に初めて行く。ファミマのチャリ置き場がそのままの形で空白に囲われて使用中止になったのがちょっとウケる見た目だった。

サウナ無料だったけどきっとあそこがそうだろうと思っていた場所がやっぱりそうだったから入ってみたけど貸切だったけど腰をかけることはできなかったけど、なぜかあの銭湯に共通してなんか許せた。裸で温風を浴びながら手を上に挙げたりしてたらおもしろくなって「調節のため穴から熱風が出ることがあります」プハーーーーーー熱いのがきて、あーー皮膚が浮ついておる。あついというか体の表面がぶるぶるファジーになるようないやからだの中はあつい、あーぬめり、黒ずみ、赤目、ねつーーーー水風呂に入って皮膚が戻る伸縮した。

 

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11/9今日はしょうがないことについて考えてた。

 

11/1

1日にも慣れた。

 

でかいクレーンは見上げて補助道路を渡るのがいやだがでかいトラックは横断歩道前で見るのが頭に残る、わたくしの一歩でこの手が弾ける距離にあることがリアルだとか思ってしまう。クレーンは遠いから眺めてしまう。

 

自転車に乗るからはやさが分かる。歩いていて曲がってくるカーブの手前ですれ違う時の運転手の顔と向き合う時は目線が平行になるからリアルが飛んでぶつかる時の方を先に想定する。

ほとんど記憶補正がかかっているが、ぶつかった後には私を覗き込み叫ぶ人の顔だけが残った。今はどうなるのかな?

 

物が勝手に落ちたときのわからなさが頭を止める瞬間が好きも嫌いもないきもちを生むけど、そのときのことは一瞬と呼べるかんじがする。自転車とすれ違うときは一瞬ではなくコマ送りになってる。

 

映画を二本見たら尻の痛さが大きくなって出た瞬間一日が終わったなとかなり思った。私映画のこと好きじゃないのかもな。同じ時間人と喋ってみたけどどこも痛くならなかった。わかりやすい動の影響を一生受け続けるとしたらちょっとかなしい。

201711/11你好ペニノ

下書きから発見した昨年の

 

KAATまでの、まだかつぎかと顔を上げながら東急東横線を直通する気だるい時間は、今日は劇を見る日だと意気込んでいた頃は観劇が日常の外にあったことをちょっとだけ思い出す。遠くて特別か、近くてタケノコか。しかしもうすでに電車の先に劇場があることに慣れてしまっているし、近頃は戻ることの代わりに無くなることしかないことの方が多くなってきている。庭劇団ペニノ『地獄谷温泉 無明ノ宿』をみた。

初めてのKAAT5階ステージは入り口から客席が見えるまでの暗さや階段状の座席、最前列と舞台までの距離、客席の幅よりも狭い舞台幅等が映画館のようだった。おそらく中規模(調べたらなぜか施設概要で404エラー2017/11/11)、ほぼ満席。後に回転舞台だと知るが、元々くっきり赤い幕が張られた枠の中にある舞台を見ながら、客席との壁をつくらない、むしろ壊す工夫が為されない演劇は久々に見ると気づく。

幕のそよぎはうねうねと待機し、それが開けた時の些細な舞台美術までの目を慣らしたような。

川島雄三『しとやかな獣』ではカメラが縦に上がり頭上から室内の仕切りと人間の動線を見せたが、演劇では人間が四つの空間を横切った。

路地のネオンに引かれて見つけた台湾料理屋你好でピータン豆腐を噛んだ口。

 

 

10/30

1ヶ月が終わるときの重みが増してきた。図書館で本を読んでいたら真横の窓の外をくすんだ白の蛾がちらちら私の後ろの方に平行に飛んでいった。

 

「同時的で多元的な知覚が直線的で継起的な知覚に取って代わり、文学テクストを読むことに象徴される求心的でより深い知覚の代わりに、もっと表層的でかつ包括的な知覚が登場してきているのだ。」2018年みんなが知ってること?1999年より

 

深さに飲み込まれる人間になってしまっているから浮き上がれるようにしたい。それでも今まで感じたことのない状態に自分がなった経験はちゃんと身に染み込ませたい。他人とあるということが初めてできたかもしれないから慣れてしまわずに感謝したい。私はすぐにすべてを忘れてしまう。

 

20時前は静かで自販機の明かりだけのでかい大学の隅でヒョロラリー虫の音を聞いた。耳をすますことは身を感じ直すのには結構イイ技だ。

ひとつひとつの瞬間とか事象にはそれぞれ答えじゃなくてきっかけとか原因があるのに終わり方は自由だから混乱してた。

目の前にあるものを見ているのにそれが何なのか全くわからないことしかなくて考え方の傾向みたいなものだけがこびりついて汚くなっていくのが本当に嫌だったけど解決方法が考えないことしか今のところ手に入れられてないから歳をとることが無駄に思えてならない。