移・動・3月

朝9時過ぎに出、宿に着いたのは18時過ぎだった。途中の乗り換え数、1回、2回、ここで2時間立ち往生した後に、知っている場所の知らなかった場所へ流れ知らない心地よさと思いきやガチャガチャに揺れる電車で1回乗り換え、到着した。6時間は想定内だったので途中の立ち往生だけが計算外なだけだった。しかし新幹線が混み合い、あの金額が妥当とされ、皆が使う意味が、在来線を使うとわかる。いかに効率的な最大公約数か。それが東京行きなのがもはや複雑でもない。ただやっぱり自由席に乗るならこの時期でも土日だからか品川からでは無言の戦いになった。品川ですらっと座った3人掛けの廊下側C席の隣のB席には、A席の方のレスポがみちみちに置いてあってA席のおばさま風の方はイアホンをして窓のガードを半分下げてシートを結構倒して寝てた。これは私もやったことがある。社会的と見せかけて完全に個人的に密を避けたくてどうにか悪質に見えないたまたまの状況を作り出して自分の快適な状況をこっそり手招きすること

 

久しぶりの朝の喫茶店、トースト、茹で卵、コーヒーの、サラダ付き。サラダはキャベツ、トマト、キュウリ、ハム、さくらんぼ。胡麻ドレッシング。さくらんぼは食べれなくてなんか言われたらアレルギーですと言おうと準備してる。これを打っているのと、食べた皿はすぐに引いてしまいたい派なのでコーヒーだけを残して端に食べ物皿を寄せているがしばらく。茹で卵を殻から割って食べるタイプの茹で卵は、黒い埃や屑みたいなのが絶対に茹で卵上で目視されるのと、自分の手の汚さがトーストよりも影響する気がして苦手だ。

ただし酔っ払って地面で寝てたり血まみれと昨日の服で朝を迎えたりしてる人が潔癖の病なわけがない。ほんとうにマインドからくるものだということがわかる。思春期は父の後ろが歩けない。洗面所が使えない。このマインド系の状態のことをなんと言うのだろうか、きっと名前があるだろう。

 

今、5歳くらいの向こうの席の幼女、髪の毛がふんわりのピンクの服を着ていて手を指差しのポーズで上下に謎の動きをしてなにかの声を発しながら、しばらく止まっていると思ったら私の方を見てた。

 

 

久しぶりの2.5時間(東京ー大阪間)以上の電車移動。その間、最初の2時間は眠くてねて(新幹線の椅子を後ろに倒すとき「倒していいですか」と言われてすごいびっくりする人がいる)、1時間の映像チェックをする予定が30分まで来て音が切れてしまって何もできなくなったけれど、後半の電車が揺れすぎて本も読めず外を見てた。乗ったことのない線だったので景色は初見で、いわゆる田舎の自然の景色続きだったので面白いとは言い難いが目をひきつけられるー太陽光が眩しすぎないうちは外を見た。山に近い線路を走る時、小さい猪がいた。ト音記号みたいな白い鳥は何匹かいた。あと途中エヴァのでかい顔の立体が現れて目がテンになったけど東映太秦映画村だった。施設っぽい白い建物の壁に見せつけるように「エヴァンゲリオン京都基地」

 

建物といえば。畑が続くエリアに、いわゆる掘建小屋というやつ?波状のパネルで屋根のみならず壁も作られている、貼り付けて、貼り付けて、置きました、みたいな建物がいくつかあって、あれこそが「たてもの」だなと見流す。

安くはない金額を払って電車に乗り継いできたけど、最後の駅は改札機がなく「ここに使用済み乗車券を入れてください」だった。

 

 

一人で歩いていると、ここに書いてきたみたいなことを一人で思っていて(考えていて、とか、思いついていて、とかではなくてただふとやぼんやりと思?考?する)書き留めようとして、書く動作に至らず日々は消えていく。

 

夜。マジで食うところがなく、コンビニに行くまでの道も真っ暗だったのでめちゃぺこでもなかったので夕食をスキップする。宿でバーがやっていて、置いてある本が読めるところだったので、瓶ビール頼んで植本一子「かなわない」。かなわないの時から気になっていて読みたかったけれど、2段組になったりする(これは家族最後の日かも)のを立ち読みしてどうしても読めない自信の強い年々が続いており数ページしか知らず、レビューばかり読んでいたやつ。サッポロ瓶ビール1本分読む。コンセプトの強い宿は京都放浪の時にもよくあったけれど、テキスト的なコンセプトと、それに叶うつくりを体現できているところは少ないが、今回いるところは不快に思うところがなく、かといってめちゃめちゃお金をかけてドヤという感じでもなくておおおと思う。想定されないここちよくなさに晒されると冷えていく。このバーは元々交流しようzeな雰囲気はなかったけれど、バーカウンターが目線より上なので手元が個室で、その個室にあたるライトが完璧読書灯だった。ということもありかなわないが進んだ。もっと読みたいけれど、ここ2年ほど、読む場所がつくれなくて読めない日々が続いている。これはかなしいけれど、もう場に左右されてしまうことにはしょうがないと向かうことにした。

 

もうすぐ車がくる。

 

おおむかしに急にもらったカメラがあって、そのキャメラを今回持ってきている。この前久しぶりに出したら、(知っていたけど)カメラロールを見れば高校生の時の写真が入っていた。今はみんななんらか働いている。

昨日この宿の最寄りの駅(今回の最終地点)について、まあっすぐに20分歩いてきた。その間、中学生くらいの2人組にしかすれ違わなかった。土曜の夜のはじめ。車は数台。ひとけがない街に、歩き続けて上がっていく体温と腰あたりの汗ばみと静かな景色だけがあった。

海に入る前の川と、その先の海に囲われた三角地帯みたいになっていて、この20分の最後ぐらいには、その三角の端に来ていて、左側と前からごうという音が聞こえた。暗くてよくわからなかったけど少し顔のからい感じから海であると「わかる」。

宿で荷物を置いて、海を見にいくと暗すぎて何もなくて怖くて道路までしか行かなかった。 ごうごう ザザザ 音が響いていた。地図から、この道路と砂場の間が左右に続くことは「わかってた」。その沿いにライトは一切なかった。

 

今赤い車が駐車場に入ってきて、注文を聞いてくれたおばちゃん風の人が走って出てきて、店の表からコンビニブランドっぽい食パンたくさん引っ提げて厨房に走り込んだ。

いますごい皿をかたす音が聞こえる。 (金属音)カチャカチャ カンカン この街にはコンビニが一つしかない。

 

夜は疲れ果てたのと交流を強いられる場所でないことに有り難く眠る。和室の天井の梁や電気の切り替えの最小が豆電なのとか十分にこぎれいな感じと、歩くと床側と部屋の中の何かが揺れる音がするところが、おばあちゃんちに似ている。

長期休みの度に行っていた頃は、家族4人で寝ていた。行っていた時期のほとんど終わりの頃、男女で部屋を分けた。それまで、母がいかほどに着替えたり、化粧をしたり、しずらかったことか。もし生理だったら。

 

 

明日が月曜日で、約3週間分の平日が過ぎると、4月になる。

昨年は3月末と4月の頭に大きなことがあったので年度末的なものはなかったが、3月末に京都にいて、京都の桜を見てもう桜が咲いていますねと言い合ったり、気が落ちたり、いつもは話さない人とふたりきりとかで話す機会があったり、温かい温度の中の夜を歩いたりしたあとに、そこに京都から東京への移→動があったことでなんとなく、はい4月ですという切り替えがあった。移動は、記憶を切り替える。

 

 

 

またもや…私は今度は右列のC席。A席にはおじさん風のキリン500mlおじさんとB席に麒麟の荷物らしきリュックみちみち。いやわかるんだけど。わかるし私の席はそもそもCのみなんだけど。腹立つから着席即晩御飯とビール。アサヒのマルエフよくわかんないしパッケージは魅力溢れるけどこれ飲むとサッポロが飲みたくなる。

 

いまはLINEのkeepに打っている。今朝方、9:35ごろまで喫茶店macのテキストエディットで日記(?)を書いていて、その後。

 

いま名古屋に着く前の音が鳴った時、ライトが明るくなった。そんなことが。いまは20:09。となりのA席麒麟に降りてもらいたい。けれど倒した椅子微動だにしない。

 

 

日常に戻る。いつもの朝、いつもの珈琲、窓からの光。変わっていくのは温度。春が来て花粉にまみれ目がかゆい朝。警察用語?で、尾行されないように行動ルート、行動範囲を変えることを除菌というそう。私はもう部屋の中の花粉と外からの花粉が見えて、できるだけ花粉量が少なくなるように見えもしない花粉をとじこめる。この前早咲きの白い桜が夜空に向かって咲いているのを見た。月曜になった。