2023/06/02

過去の出来事感情その時の身体を持っていた感じがどんどんゲシュタルト崩壊していくかんじ今に始まったことではなし。世の大半がとされるように今ばかり突きつけられる平面を目に寄せするするする続けているうちに時間の感覚が甘くなっていくのと本来は別のことなのに記憶のこと取り出さなすぎるのが若干の原因のような気もす。取り繕いいくばくかある対面とそれなしでよしの言をふわり投げてくださる方との短くも時間、しかとした残り方あり。このことも係る気あり。原文ママよりも直接的な言葉を載せられる人あり。最近のそういう人たちはかるく、目の印象が残り、ただ無のまますれ違うということがなく、ちいさくでもこちら側がカシャンなんらか記憶されるそれは感情か思考か若干わからんがその人とその周囲に関わることへ考えが及びはじめる、とは言えそうではある。すれ違うとき、去るというふうに絶対にならないそれだけの安堵? 意・外と、すくないこと。

 

 

2023/06/04

時間の流れの知るわいな。始まったら一瞬」の人為的さ、時間が公的客観であるとしてしまうこと。そしたらそこにちいさな人々の集まりがあるが、そこにいる人たちは、各人でしかない。そうしていると、とっても楽。

 

言葉の違いのあるなしや?

 

 

 

 

2023/04/14-2023/05/05

 

 

2023/04/14

ああ今日会ってへらへらしてしまったあの人あの人あの人たちに伝えたいと別日思っていたことたくさんを後になって思い出しげんなりすることが多くなっとる。会う人が多くなっているのもあるがそれよりもすてきだと思う方々がそこで話されるべき話はなしというか感情についてでは半分はなく言葉をすっぱといっていらっしゃるのを見てこれだとなって全部吸い込んでわたしもそうしとけりゃいいのにその場でいっぱいいっぱいなことが多すぎる気がする。慣れですよということがすこしパラフレーズできたきがするのは、焦り、緊張、逡巡は自意識によってもおおいに引き出されてしまうということの客観的な理解、いい歳になって腑に落ちてよかった。つまり、その場にいるその、その人とこそただ話せばいいじゃないのということ………たぶん。

 

 

2023/04/19

予定を書いていないと、その日に何をやっていたのか先週のことでさえ全く思い出せない。どこかに行っていたり人に会っていたりしていたらそれは予定になるが、一人で過ごしていた時間にもみちみちしていたものがあったりなかったりなのにもかかわらず。これをどちらとして捉えればよいのか若干わからない。

紙のスケジュール、電子と情報をだぶらせたくないので何を書くかを考えていたけど、個人的なことを、というのはわりかしうまくいっている気がする。The personal is Political……

 

 

2023/04/23

(身体の)調子が悪かった日だ、そういう物理的な位置付けが生活の中に発生し始めている。そういう状態のことではなく、そう位置付けることが。

 

 

 

 

 

 

2023/05/05

わたしにとっていいことがあってほしいと、私にとって、と、がつり言えることのすくなさ、すべては連続しているように見えてしまうすべては起こっているというときに、ここはなんなのか? ということの文字にだいぶ接近してきた気がする。気、。

 

 

 

 

 

 

 

2023/03/19?

むかしむかし好きだったピュレグミを100億年ぶりぐらいになぜか買い、開けると3/5くらいのサイズになっていた。

 

 

2023/03/21

半休だったのでアラームつけずに寝てみたらいつもより少し遅い時間に一度目覚め、もう一度寝てからその後起きるまでにさいきんの感情に影響を受けまくったような断片的な夢をいくつも見て、起きたら吐きそうだった。そのあと歩いていたら、ほとんど内容は忘れてきてたけどそれが夢なのか、酒を飲んで半分忘れになってる現実なのかわからない断片がいくつかあり、この現象は久しぶり、胸くるしく。それらのことも夜中の今は残滓のイメージだけ残り、わすれた。たくさん寝たけど、昼過ぎに10分ソファで昼寝してみたら熟睡して身体の温度が起き抜けの芯のやわあたたかさで日差しも受けており、きもちよかった。

 

2023/03/31

この人にこれを言いたいと思ったことを言い逃さないようにしたいと毎日思いながらいい流していることがあまりに多い気がする、時期か。

 

2023/04/10

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全休。久しぶりの関西はゆるやか、私のからだが。それで旧友に会いこっちは生活が楽やでと言われた言葉をジャストミートするも、もう少し若き日のような虚しさはなく、自力である部分が増えているということなのかもしれない。

祖母と2人の時間ができることは予め分かっていたけれど、補聴器というガジェット間に挟まり、懐かしさ覚えるような普通のような会話。ふつうに会話できることの普通さ。そうであるときにはそうでないことのことを考えられない強さ。音が多い中ではそうはいかないのでよけいに2人だけで広い家の中で話していたこと、場所を2人だけで聴いている時間、昭和47年に新しかった家、ドアのネジは緩みバンと閉まり木の扉壁は擦れ写真はほとんどが乳白、ソファははずみなく骨に骨組みを感じる、じいさんが常にいた応接間は人形が置かれ陽射しだけが同じだった。玄関の百合は正月から先っぱなしらしい。呪いか何かちゃうか。ここに1人で過ごしている日々を見せてほしい気持ちがすこしと、この場所の年月のすべてを吸って生であるおばあちゃん、木彫りやめちゃって心配してたけど大量の折り紙細工が2階を覆ってた、おじいさんが来ない2階、ひと折れで全てが壊れそうな階段の上を歩いて軋む音はずっと一緒。赤ちゃんのいとこは上がらせられない段差、ばあちゃんの足腰にももう痛い。ばあちゃんの城の2階、じいさんが眠っていた部屋の箪笥がなくなり、ちいさい四角の青畳と同じ部屋の明るさは見ることができた。

 

 

2023/03/13-4

 

2023/03/13

春の嵐っぽい。朝目覚めから起床までのうだつき中板でばうんすする窓とか風さまざま。

お持ち帰りの肉としなない野菜を午前中に食う午前中という時間の1日の中のみじかさっぽさ。6・6・6・6のなかの6. のあとの6・6・6のあとの6。今日は風に切られてる6。

 

 

2023/03/14

けっこう気にしてしまう時にはじぶんのことを振り返ったほうがよい。みぞおちがなまぬるいときは皮膚を風にあててみて始めよ。酒は気持ちよく飲め。からだとうちがわの不一致というか重さの違いに頭を傾けることの多かった20年あまり。人生を2で単純に割った時の中間に記憶がついていく歳になってきている。それはべつになんともない。ただしいろいろにスミブラシのようマダラで付き纏っていたものに言葉を与えて引き剥がしていくのはぜんぜん悪くない。とにかく一般的でありたい感じ、感情は信じたくないこだわりようは認めるしょうがなむしろ上からみて、高いところから下を見てクラクラしてくる秒前に目線固める。ここにある足は落ちない落ちてもよい。下に歩く人間かたい地面止まっていないすべてを眺めて血、感じないけどいつもずっとそうだったと思いながら血が回ってしまい目眩よろこんでする。さむくない、わたしだけの狭い階段の幅、幅、その前に自力の風邪。浴びて小さなしっているところでタダで流れていた映像作品を見ていた、あの時間が何分だったのかキャプも時計も見てないからわからないけどチャリ止めてあの薄暗にいたんだよ、ほんとうのことなんだよそれがさ……という実感がすこしずつ重くなる

 

 

 

 

 

2023/02

 

 

2023/02/13

対面してる人と言いたいこと言えないこと全部ないようにしたいと思ってたけど、相手によって言葉が足りないってこと、ちょっと忘れ、だからってやめないでいたが、、

 

もう、という感覚はほんとうの時間とは関係がないかな?あるか?

 

 

2023/02/18

大学2年生くらいに買った本がかなり残ってることに気づき、その時のさまざまな感情の印象らしきものだけだなと思ったのでちらちら読みかえす。綺麗で読まないものは売りに出しより良い場所へ行ってほしいけど当日はマジでページ折れ、書き込み、付箋、ありきたりだけど昔の書き込みを見ると字変わってないし線引っ張って同じ強調しとるだけやん笑とかにひとりでなる。わりと、よい時間が流れ、三度引っ越すたび引っ張ってきただけある。ただ、置いていただけではあった、こうやって気づくまでは。あーかっけーと思う文には見覚えがあるのに若干ありがたしがある

 

 

 

2023/02/20

ねむりのしあわせが高い時になんらかの共通点があるか?

 

 

2023/02/28

みちみちとしている時、急に時間が空く、空くというかんじ、生活の間に薄白いへこみが来る感じ、が、街の中の場合の立ち往生の様子が流れてくること、情報ではない引力で街を歩き回りたいそうできるのにそうしないことの胸のつまり。すいている映画館が人生にあまりなかったリビングのやすらぎ

 

 

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2月、寒さ、おかしな暖かさ、強い冷たい風にも吹かれ横に流れた、朝の身体が暖かさと目の痒さを知っていた、あたたかい夜。耳のやわい赤さが体中になる冬が過ぎて、まだ見えぬ夏の折れた膝見える気がしはじめる。

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2023/1/24-2023/02/06

 

 

2023/01/24

最近ベース程度の自信というかselfconfidence的なものが停滞してきてる 寒いからか?

 

2023/01/28

ざんねんなこと立て続きあり。明確に2つ。生活に関わること、わかりやすく関わる事態、と、それによって影響を受けるであろう未来へのあやうさへの恐れみたいなものに謎の耐性があり自身に対して引くことしばしば。しかしその時に私は何から距離をとったつもりでいるわけ? ここにわたししかいないのに? 街を歩いて浮いた感覚が明確に訪れる瞬間、ある場所においてわざと浮いてみようと試みること、距離のつもりで浮くこと、このチャンネルがちょっと電流不足なのかもしれない気がしてきた。これは、たぶん、こまったことな気がする。

どうしたものか?

 

 

2023/02/06

先日とても柔らかくまっすぐな投球のようなはやさで決断が遅いと言われる。率直さに意外を感じつつも自分でそう思うことと他人がそう思って伝えてくるのとの重さ? ボールを取る瞬間にうまくミットを自分側に引いて受け止められた時のぱすっのきもちよさ的なものを感じた、一人で居て大丈夫な状態でいて急にまわりの水枠に気づき手を刺し水の向こうの滲んだ手と腕を見るおもしろさ的な、激しくなく陽の気、流れるプールは平日に行くと空いていてでかい輪を流れで戻ってくるまでにわたしたちしかいないこともあったそれは水曜休みの家庭には普通のことだったがあの場所時間はよい、のほうの記憶のなかにある。

 

書きたいのに書きたくない、というやつ、学生時代にもあったとおもうけどなんだったのか忘れてまたやっている。公的な言葉を久々に使うと、社会みたいなものが見える。先日あることがあり、今日あれは嫌なことだったと与える。出来事が起きている時と、振り返ってそれに対して感じていた状態を名付ける時は、かなり違うし最近は後者に偏りすぎている気がする。前者をやらないってどういうこと。

 

その時期にけっこう浸かっちゃう言葉ってある。後にはまったく残らないものも、それをみてあああればかりだったなとなるものもある。

 

あれはいやなことだったと与えることと、ショック残滓ヤケクソになることはけっこう遠いのに、ほんとうにどんどん薄れていく。許したわけではないのに薄れていって、なにもなかったことになるか? 決断が早いと怖いは、あんまり近くない気がする。

 

あたたかくなってくるととにかく機嫌がよくなる。もうどうしようもない。