2023/01/24
最近ベース程度の自信というかselfconfidence的なものが停滞してきてる 寒いからか?
2023/01/28
ざんねんなこと立て続きあり。明確に2つ。生活に関わること、わかりやすく関わる事態、と、それによって影響を受けるであろう未来へのあやうさへの恐れみたいなものに謎の耐性があり自身に対して引くことしばしば。しかしその時に私は何から距離をとったつもりでいるわけ? ここにわたししかいないのに? 街を歩いて浮いた感覚が明確に訪れる瞬間、ある場所においてわざと浮いてみようと試みること、距離のつもりで浮くこと、このチャンネルがちょっと電流不足なのかもしれない気がしてきた。これは、たぶん、こまったことな気がする。
どうしたものか?
2023/02/06
先日とても柔らかくまっすぐな投球のようなはやさで決断が遅いと言われる。率直さに意外を感じつつも自分でそう思うことと他人がそう思って伝えてくるのとの重さ? ボールを取る瞬間にうまくミットを自分側に引いて受け止められた時のぱすっのきもちよさ的なものを感じた、一人で居て大丈夫な状態でいて急にまわりの水枠に気づき手を刺し水の向こうの滲んだ手と腕を見るおもしろさ的な、激しくなく陽の気、流れるプールは平日に行くと空いていてでかい輪を流れで戻ってくるまでにわたしたちしかいないこともあったそれは水曜休みの家庭には普通のことだったがあの場所時間はよい、のほうの記憶のなかにある。
書きたいのに書きたくない、というやつ、学生時代にもあったとおもうけどなんだったのか忘れてまたやっている。公的な言葉を久々に使うと、社会みたいなものが見える。先日あることがあり、今日あれは嫌なことだったと与える。出来事が起きている時と、振り返ってそれに対して感じていた状態を名付ける時は、かなり違うし最近は後者に偏りすぎている気がする。前者をやらないってどういうこと。
その時期にけっこう浸かっちゃう言葉ってある。後にはまったく残らないものも、それをみてあああればかりだったなとなるものもある。
あれはいやなことだったと与えることと、ショック残滓ヤケクソになることはけっこう遠いのに、ほんとうにどんどん薄れていく。許したわけではないのに薄れていって、なにもなかったことになるか? 決断が早いと怖いは、あんまり近くない気がする。
あたたかくなってくるととにかく機嫌がよくなる。もうどうしようもない。