R体

R Dinner. きょうはこんなかんじ。道端を歩いていて、すかさず携帯も取り出せずにたちどまることもできずにそのまま進んでしまったその前にああ、これは忘れないでいようと思ったものがあるとき、何回も声にせず体の中で繰り返し忘れなくないものを反復し、それでもなんでも忘れてしまういつものことを思い返し悔しくなりながらそれでも強く刻んでみるにはどうすればいいか、文字ではなく、見た風景を反芻するのがいいのか、地理的な情報を覚えておくべきか、とはいえネットマップ上にポイントを打ってしまったらそれはそれで満足して忘れてしまう気が、気がというか習慣によってその様だからあえてしないでいても結局そのポイントによって忘れていた記憶が吹っ飛んで戻ってくるかもしれないとも思いつつ、あたまにあたまにからだに、覚えておけよと念念念。そういう、ここ・わたしの中だけで解決できないわたしのことをうんぬんしているときの内側のエネルギーがあるとおなかが呼ぶ。おなかというか口が呼ぶ。溜まったものをどうするこれは時期に消えるものだから今解消しないと今この塊が消えるまでそれと付き合うことになる。でもそのいやいや付き合った負荷によって未来未来に残る引き金となるのか。わからんがその代償は大きい。きょうはどうしても終わる。なにかをしないと終わる。なにもしなくても終わる。もう日が沈む。さっきまで会っていた人やすれ違った人踏んだ地面ぜんぶ通り抜けるわたし足。すすむ、すすむちからはとてもあって止まらないとすべて進む。と歩いていて気づいた。さっき出発した人間が作った爆速の人工物のかたまりは今も進み続けている。止まったら大事件、爆速に爆速を重ねるもなにも貫いて爆速で今も決められた道を前前前風、そこに乗っかっている人。新幹線は飛行機よりもわかりやすく凄すぎてすごさを思い返すことは全然違うところで歩いているときのほうがわかるなと磨り減った靴を引き連れておもう街は、かたまっていない。

 

なにかなぞのものに何らかの名前を与えることはそのものを語るのにとても便利なものだとみんな知っているらしい。中身がわからないままそのことについて話ができるもんね、だいすきなSSのX、大昔のVWの黒い天使、心の中のサッチャー、わたしはどれかというとかなりまだ抽象的なのでRにしとこ。Xの抽象のあり得方なんだ。かなり理由があることだろうけどちょっと今検索しないと知らないことなのにXとも言えすぎるからこれはなぜ雨が降るの。どこからでも月は見えるの。そんなレベルで脳をうわっつらにしか動かさなくてもいいものとしておいといてもよさそう。だからRにしとく。小さいときRイニシャルの名前に憧れてたし、今はそんなこと超なんとも思わないし、いま読んでる本が「むらさきの」と言うからそのラ行を中途半端に借りてR。ことばを重ねて増す説得と崩壊する理。でも、やっぱりわからずに飽和しているときにガツンとカフェイン、ほんもののやつ注入するとああ、偽物だったなとこれまでのことを未来から気づく。これって排泄的なきもちよさある。ゴミ捨て、誰にでもまっとうなこと。その整備をしている人、そう思える?

 

容れ物を持てた。普段は閉じててどっかに置いといたり持ち歩いたりして、時々開けて、出してしまって、たまに爆発するようにしておいて、止まってないもの、いれておく。止まったものがあったら溜めても捨ててもいいことにする。近ごろは風が吹いてる。夏の地面と空の間熱が固まったなかをジリジリですすんでたのも昔になった。ことしは。天気と触れる時間が、減って、からだが白くなった。走る車の窓を開けたら風が水然で流れ込んだ。からだのまわりに風多かった。緑黄緑流れ流れてコンクリートの壁。介入した人、来る人、来た人、帰るー・・・。一面の色、変、わ、っていく。おじさんの声、おばさんの声、泣く前の子どもの目の中の水と鹿肉の血、きれいだった鹿の中身と写真の光沢、白くされたされない枯れた枯れる木。気。密室の中で混ざらない混ざる寄らない触る、さわると、触るのは私のどこかの手。さわると白い、触りが白い温度よりも先に白い。白さは移ってこない。全然分断されてる。別物に離れながら同居することを全部してる。たぶん温度は一番じゃない、、と思う。透けた目と透けた海変わりない。

 

甘酸っぱい甘い全然違う辛い。誰も見てなかったら全員いる。輪郭が溶けながら戻る思い出す先が分かる。