2022/04/13 みょうがだけ

きゅうりのみどりいろ、みょうがの濃い薄いむらさきいろを落とすためまな板を洗うためまな板に包丁を置くと包丁の柄が支えになり壁側に置いた包丁がまな板を洗いに行った体の横で周りこちらを向く、そのまま刺さって足に落ちるかもしれないという気にいちいちなる。たくさん入って80円の茗荷茎というみょうがの余りのようなやつを昨日余らせて保存しておいた中に小さいからだつきはっきり見える小虫がいてもうこれは買わないと思う。つぶさずに生ゴミ入れに入れる、珈琲の粉と吸い殻が乾きつつある上に落としてそのあとは見えなくなった。

 

母の10すこし上くらいの人が20-30代に着ていた服をたくさん譲り受けた。その人は私が知っている中でもパワフルに生きてきた人でどの服もきらびやか、それらしさ、どこにもなさを吐き出している服という服、かわいいと思っていろいろもらう。それからしばらくした今日、なんもないときに母が今くらいにどんなかんじで生活していたのかをなんか思い浮かべる。ものに溢れたクローゼットから昔の香りまとうかつ良いものできれいなものを譲り受けていた期間があって、それは派手色で、普段買ってもらったり見ていたような服がそれはその値段相応のものでしかないことをしかと分からせるようないいつくりで、ラッキーの気持ちで細い細いウエストやタイトシャツをもらってうれしくなっていた。父が一度ジュリアナで踊っていたと酔いながら言って母の反応は…覚えていない。ことがあったけれど、ジュリアナは東京でしょ?厳粛めな家だったはずだし、酒はあまりのめないけれど、いわゆる女らしさを兼ね備えていたらしいことは知っているいつだったか。父が二人目の恋人だったと聞いて、そのころは少し、そしていまになればそれって…という気持ちが消せなさすぎるが今日は、どんなことをかんがえて、あさおきて、暇な時にはなにがしたくなる人間だったのか、聞いたこともないし、どんな悩みがあったのかも聞いたことがない。これがともだちだったらかなり遠い距離のともだちじゃんな、反抗期から、両親にもっとおまえらのきもちや悩みを聞かせろやと思っていたけれど、いまはわたしだっていいとしだから怒りは覚えることはなく、どちらかいうと夏が来る前のなまあたたかい風へのせつなさくらいにしかならない。

いまからでも遅くなければ話してみたいが酒なしにできるのかというきもちにもなる。

 

もうひとつふたつ書きたいことがあったが忘れてしまう。

 

親族の距離ははかりにくい。すてきだと思う人からの電話を電話が苦手でそのときは出たくないきもちがすごかったので出なかった誕生日にかかってきた電話と留守電。携帯電話のバックアップに興味を持てず飛びがちな電話帳には登録が少ないがきっとおばあちゃんだとおもう。死なないでほしい。とおもう人はたくさんいるが、友達と親族の差は何かと言ったら、じぶんの自我がないころのじぶんをいいかんじに見守ってくれたことか。いいかんじだけではないと思うので、じぶんのしらない面も含めたじぶんのことを見てくれていたことか。それも友達にも当てはまるとも言える。

iPadがほしくなってきた。

それでもう片方の方の記憶があたらしいほうのおばあちゃん。一番記憶にある60代の頃からもう20年も経っておばあちゃんぽくなっている。コロナで誇りだった足腰が出歩けないせいで弱ったことがほんとうにくやしいらしいが、米寿は盛大にやってほしいので、それまでは絶対に生きると言っていた。そして大阪万博は見るからぜったいにそれまでと言っていた。こんなことを書くのはさいていだ(わたしだけにとって)。終わらないわけないことはもうかんぜんに知っているが、そのときのきもちは、そうしてね、というぐらいのかんじだった。他人事だが、また会いに行くからね、というのもついてきた。経験がないので、どんな感情になるのか分からない。できれば、ちいさいわたしを見ていてくれた方々には、いまあらためて会いにいきいっしょのときを過ごしたいとおもう。

 

服をくれた人、20代は90年代。母、20代は80年代、ばあちゃん、60-70年が20代、おそらくこの年にどちらもお見合い。いま、2022。

 

さすがにもう今日この日が確かではないとおもうことはないが、それよりも腹が減る、目が見えず文字がぼやける眼鏡が必要になる、汗が出る、確からしいことに対する慣れと見せかけた耐性がつよくつよくなる、

きょう、洗濯に窓を開けてみたら汗ばむからだに当たるひや風がきもちよくきもちよく、そのまま開け放しにしてみたら、花粉の表情がほとんどでず、heh.  これは訳すとフハハ。

素敵なひとの文面上の景気。