2022/04/11 デ・アンツェット

 風が肌に当たる裾がふくらむ、表面は冷えてきて葉とか細かいものが道の前の方から道をつたってサーーとくる。この街にはモスがあるはずで、そうなるといまはモスで座りたい気がして、駅の近くまで来て、あーそうだモスがあるかも錯覚をもたらす駅だったのだと何度目かの気づきに遭って行くあて(がなくなり、)探すさざるえをえないもやもやしてもう入りたいと気が⤵︎になりながら風に当たるのがからだにはよかったよう。いまは店に入り天井の高さにたすかっている。


きのうは起きたてから暑くて半袖を着たかったし、玄関を出た途端温度が間違っていなくてるんとする。下北沢でピンク色の人を待つ。暑くて人が多くて靴擦れをして、すこしはいった2階の喫茶店はよかったが個室みたいなところに人を詰めていくスタイルをゆるせない。声が聞こえるか聞こえないかの距離で知らない人の話を聞くことがたのしい喫茶店がすきで、ケーキはかためが好き。

いつもの調子と違う。


あついあついとあついばかりになりからだがじとっとしてきてべつにそれが自然の中だったらいいんだが切り立てのコンクリートが明るく風を通すエリアへ行く。あついのと赤黒さが混じるなか見たかった顔をみて跳ねたときにさらに声をかけてくれた顔を知る人がいたのに気づかず行き過ぎそうになりいまも思い出してくらくなるが、5ptぐらいの声をかけてくれて嬉しいがおくそこにいる。これらになる瞬間がそのときに起きたから話したかったことが後から出てきてまた5ptの奥底がちらつく。32ptで今度見かけたらぜったいに声をかけよう、というか見たかったえんげき見れてなかったじゃんこんどおしば誘おと表示する。
いまからその見たかった顔の方々のことを書こうとしたけどやめていつか直接言うことにする。


日記の話。2冊買って昨日1冊、今日1冊読んだ。きのう丁重に風呂に持ち込んでしまったら表紙のインクがちょっと引いてしまったけれど聞いた深夜の裏話の夜の暗さを想像してむしろよいように受け入れる。

 

いつもと違うようになっている理由は明確である。

 

日記といえば私が人の日記をいけると思ったのは愛すべき(とさえも言える)『私は生まれなおしている』『こころは体につられて』上下
それとこれは恥ずかしいがサルトルボーヴォワールの書簡集みたいなのもよかった。なにがよかったのかこちらはあまり覚えていない

 

人の日記を読んでいると私の日記ふうの文字みたいな音声みたいなどっちでもないのが頭に流れるので書きたくなりパソコンを開いたが永遠の読み込みが始まってしまい、たまりチーズの余りとビールしても終わらなかったのでそのまま寝る。朝起きるとパスワード入力画面の上の丸いふくろうが薄明るくいた。そしていろいろやっているうちにもうすぐ今日も終わることになって今だが、きのう流れていたものはもう来ず、来なさに嫌気がさしていることを今書いている。

 

クリーム的なものが食べにくくなり、迷った挙句ビールになってしまうのがちょっと後ろめたい。


このまえ、大きなひとくくりがあり、久しぶりに平日の日中15:00頃に外へ行く。日が出ていて、風が今日よりはよわくも吹いている。わたしは、何を着ていたかはわすれてしまった。ただし途中の公園。たどり着く手前でその公園の入り口に高く高く生えている桜がもう葉葉になっており、ヒューとそのしたの道小桜が流れる。流れに向かいながら横目で見た公園のきったないブランコに見たこともない昼の姿。日が当たり、公園があった。
気が良くなってそのままぐんぐん歩く。どんどんきもちよくなる。これだけのこと、と思いかなしくなる。

同時にこれこそが、ともふかく思う。

 

古いパソコンなので指が筋肉痛になる。便利になった風に、機械使いこなし落ちるはしばしの筋肉。もう帰る

 

古いパソコン、音が出なくなったりあからさまにナイトモードになったりする。新しいパソコンが景品であたってほしい。昨日の話。もっと流れていたけれど今日はきょう。知らなかった八百屋に帰りに寄りたいと思ったけれど、夕暮れ過ぎの薄暗のなかで店主らしきおじさんが会計を済ましているところだった。