2023/10/01

いま目の前にひろくある景色高速で流れ去る景色遠さの先でこれまでもその先もそこにある景色それぞれに頭を止め思考を止めくぎづけになることがあったろうそれらに、あらがう時期見過ごす時期見流す時期受け入れる時期があったはずであり、それはまぎれもなくこことそれらとのことであったとは思われる。いちいち眺め続けてはいられない生活の流れあれど時々に個人なりの切れめをつくり見てきたすべてのこと。おそろしは見なければかなりみえないこと、この目だけがすべてであること、そのおぞましさにも折り合いがつく年月、慣れのつよさ。肌と空気の境目をなぞらざるを得ない時期を経てたからか抵抗のない目の膜目の一枚、なぜか、すいませんが私がいれますがと言われて人の手が目に合わさる直後のヨドバシマルチメディア館のくっきりと空の色の名付けようのある見え方にはあたらしい視野としか言いえない技術と時代の功績をまるめて飲んだ喉の詰まりからの爽快が確実にあった。2023年9月30日新宿でのこと。

 

赤と緑の見え方を何度も問われる数分間の末ふくみ笑いの手前の白衣の意図が全くわからない初診、よく知ってるボロビルのボロエレベーターで怖さなく上がった先の眼科はボロほど疑いがなくたんたんとたんとして真っ平になる。そのあとのクリア。色かたち輪郭がすみずみまで見える爽快。熱夜じゃない夕方の風、風の色がそういえばみえてないしばらくだった。風の色は見える。夜になると見えなくて昼もだいたい見えない。きょうは家を出る10分前の行動の中で収まりきらなかった左目を横浜までもっていき頭の中心軸がゆらゆらした、からだのことが、こうやってどんどんゆるまっていき、わからなくなり、きにならなくなり、そのなかで生きつづけると思えばさいあくだ。それとは関係がないのに、眼力のオブラートのことはほんとうにうれしく、ばかばかしいともおもい、それをわすれてあと何年生きなければならないのか。

 

 

書くべきは、20年越しの母娘の安寧のディナーのことなんだけど、それはまだ物にはならないもよう。

それでもちょっと寝かせてあげるよゆう、諦めでなく切なくもなく落ち着いた時間の与え方がどうやってここに吸い込んだのかはほとんどわからない、慣れかもしれないもしくはふりかぶっていた何かがはがれたとか、ともかく外的な変化であるだろうに恐ろしくないということにしずかに驚きの熱韻をのこしておける。まだこのままいきていないといけないのだから、どうせおわることだから、そのなかのちいさいちいさいあかりそれ以上でもそれ以下でもないようなかんじ。