2022/07/30 よも

暑いというか、高湿度にからだが慣れていないと昨年くらいから? 気づき、もう日中歩くと芯はつめたい身体の表面がほてりぐらぐらする。あまり人に対面しない生活のためどうにかなっているがこれからもうあのセミがからっと鳴いているなかのあおいあおい空と暑さの中には居れないのかと、懐かしさに含まれてしまうのかとおもうとちょっとこれはこれからも続くであろうこの気候のゆるやかな節目なのかしらと切ない的ななにかにいちいちなる。

 

久々に訪れた用事の場所、とくに思い入れもない場所に2回目くらい何年ぶりに行き、その場所の雰囲気や細部を居ながら再認識して、今度は選ばないように覚えておこうと薄く。壁の綻びやゴミ箱の美しさ、人間の歩き方、ドアの閉まり具合、電気の光り方、挨拶の歯切れ、この部屋に充満しているへやらしさの中にあるこのからだの機嫌、心地を聞き出た時のさわやかさにて締める。

ベッドも本棚も机もどうにかしてこどもでも動かせる。床に傷をつけてはいけず、頻繁に変更している最中を見られてはならず、夜の電気の中そっとやる。配置を変えていろんな隅に行き落ち着いたら留まった。きっと物を足すではない中でやってたのが今となればよかった気がする。足して足してぶれぶれかどうかの脳が動いているかあやしい時に金と茶のウェーブやちらちらの葉の影

 

行きつけがあまりないけどすんとなれると知っている店に街中ですくわれる。つるつるせず、どんと出てきてぬべっとあるだけの蕎麦により昨日は収まった。